ゲイジュツ・ワカンナイの極み、コンセプチュアル・アート。
言葉や図面、パフォーマンスなどを通して、伝わる概念を重要視する芸術です。
展示を通して鑑賞者が受け取ったものこそが作品、ということだと思うのですが、見えない概念を観るとは、これいかに。なかなか難解なジャンルですよね。
そんな概念芸術の日本を代表するアーティストが長野県出身ということはご存知でしょうか?
松澤宥(まつざわ ゆたか/1922-2006)。
下諏訪町生まれで、同地を拠点に国内外に芸術を発信し続けたコンセプチュアル・アーティストです。
ちなみに私自身は、名前の読み方もわからなかったレベルのはじめまして具合。
しかし、美術館は知らないことに出会えるとこや!と意気込んで、長野県立美術館で開催されていた「生誕100年 松澤宥」に行ってきました。
じつは最終日に駆け込み鑑賞
展示は、生誕100周年を記念した大回顧展ということもあり、時系列順に膨大な量の作品が並んでいました。
概念を重視するアートにふさわしく表現方法は多岐にわたり、建築や詞、ミクストメディア、パフォーマンスといったマルチっぷり。
長い活動期間の中であらゆる表現を模索し、思考を練り上げていったことが伝わってきます。
展示のなかで頻繁に出てきて印象に残ったのが、以下の3つの表現です。
ψ(プサイ)
Psychologyの最初の音節psyから着想、心を表す言葉として用いる。ギリシャ文字の最後の文字「Ω」の一つ前の文字であることから、今が最後の一つ手前の時代であることも示している。
曼荼羅形式(3×3の区切り)の表現
《プサイの祭壇》宇宙・空間・時間を表現しようとした作品。
ちょっとした儀式っぽさがあり、鑑賞者がお祈りしているようにも見える…
白い円
写真や雑誌の切り抜きに白い円を重ねたコラージュ作品。
1964年6月1日、松澤は「オブジェを消せ」との声を聞き、観念を共有するための不可視・非実態的な表現を追求していく。
わかるような、わからんような。
ぐにゃあ〜・・
全体を通しては、初期にちょこっとだけ出てきた図形と単語を組み合わせた「シンボルポエム」が好きでした。
(好みというより私の集中力がまだ元気だった説もある。)
後半になればなるほど思想と宗教感が強くなり、みんなと同じものを見ているようで、誰とも同じものが見られない不安定さに終始心はざわざわ。
結局私も旧い価値観にとらわれてゐるひとりなので、最終的にはヨクワカラン…となりました。
この手の作品でひとりの芸術家にフォーカスした展示を、このボリュームで見たことがなかったのですが、かなりヘビーな展示だったように思います。
美しさや感動の再現だけが表現の動機になるわけではないということがよく分かる企画展でした。
最後の展示室には松澤宥のアトリエ「プサイの部屋」の再現が。
同時にスマホVRも楽しめました。
概念芸術に完全にあてられてヘロヘロになった後は、併設のコレクション展と東山魁夷館の展示鑑賞へ。
コレクション展は長野県ゆかりの作家の作品が並んでいて、ほっとします。
絵画作品は風景描写が多く、長野らしさを感じました。
何が表現されているかわかるヨロコビ…!
東山魁夷館は季節ごとに展示作品が変わるのですが、今回は秋〜冬の風景を切り取ったものが多く並んでいました。
たぶん東山魁夷の実物作品を観るのは初めてだったのですが、やはり大きい作品が面白く、生い茂る木を背景にそよぐすすきを描いた「秋思」は、多彩な青が織りなす奥行き感や、迷いなく引かれる線に緊張感があり、かなりグッときました。
ほぼ1日かけて、どっぷり美術鑑賞を楽しめたと思います。
展示鑑賞に疲れたら3Fのカフェで一息つけます
2Fにはレストランも(わりと美術館価格)
ちなみに長野県立美術館は昨年4月にリニューアルオープンした、建物としては新しい美術館です。
次回マン・レイの企画展「マン・レイと女性たち」(2022.4.21-6.19)を開催、その後は「ジブリパークとジブリ展」(2022.7.16-10.10)が開催される予定。
今回の展示の工夫(当時の展示再現・VRなど)からもひしひしと伝わってきましたが、こういうメジャーどころを抑えつつ、現代芸術をガンガン攻めてくところにも美術館としてのパワーを感じます。
城山公園とつながってたり、清泉女学院が近くにあったり、立地も面白いんですよね。
善光寺の目と鼻の先なので、帰りはお参りにも寄りました。
どのくらいの近さかと言うと、美術館のテラスからすでに屋根が見えている。
春分の日、すでに境内の梅が咲いてました。はる〜〜〜!
楽しかったので、また行きます。